忍者ブログ
もう後がないその状況から、どのように事業を成功に持っていけるのか。個人経営の難局を乗り切るための「プロセス&メソッド」を公開しています。
-->
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


-->


このブログを始めてからあまり自分のことを書いていなかった。




気になる人もいるようなので、簡単に明かそう。




古すぎる話もなんなので、大学を卒業してからがいいかな。




僕が大学を卒業したのはバブル経済が始まる数年前。




就職活動において、数社の内定の中から選んだのは、日産のカーディーラーの営業。




つまり車を販売する業務。




内定をもらっていた他社はもっと楽で待遇のよい会社だったので、知人からは
?????って感じだった。




でも自分は車が好きだったし、男女を問わず子供から年配者まで人気の商品
である物を扱いたかった。




車の営業はきついとは大学の先輩に聞いていたので覚悟はできていた。




いざ職についてみると思いのほか面白く、やがて迎えるバブルも功を奏し
スカイラインやグロリア、シーマなどが結構売れた。




社会人の常識、営業の基本、面白さ、辛さを学んだ時期だったね。




結局6年勤めて退職した。




やめたのは、職場結婚した妻の実家が飲食店をしていて、いっしょにやらないかと
話があったからだ。




店は繁盛していた。だが、自分が飲食の世界に行くとはまったく考えてなかった。




ではなぜ脱サラしたか。




それはひそかに独立願望があったから。




社会に出る前から、自分の心の中でやがては独立したいという夢があった。




でも具体的に何をしたいというものはなく流されてきた感じだ。




それ以外にも心のどこかで、車の販売台数のノルマから解放されたいというのも
あったかもしれない。




そんなことから、妻の実家が経営する飲食店の修行が始まる。




これは思ってたより重労働だった。




まず、立ち仕事だ。一日中立っての仕事。




なれるまでが大変である。




さらに、食器の洗い物、仕込み、仕入れ、掃除となんでもできるように
初歩から教えられる。




車の営業とはまったく異なる畑違いの世界。




まさに隣の芝生は青かった。




さらに追い打ちをかけるのが、精神面。




なにかというと、これはわかる人でないとわからない。




要するに、サザエさんファミリーなのだよ。




いわずもがな、僕はマスオさん役になってしまった。




養子ではないので、当然僕の苗字のままだが、妻の実家で働くというやりづらさ。




これが一番こたえた。




「そんなこと最初からわかってることでしょ?」と言われればそれまでだが
妻の父に頭が上がらない日々。




まだある。




車の営業は一日中外に出ずっぱりだが、飲食店は一日中店舗に缶詰だ。




勝手に昼寝もできない。




それでも13年勤めた。




その間、一人娘も生まれた。今ではもう23才になる。




13年目にやめる決心をしたのは、やはり僕にはマスオさんは演じられないと
思ったからだ。




義父が店を始めたころはそこそこの借金をしてスタートしたようだ。




僕がやめる決心をしたのも、その借金がほとんど終わってたこともある。




やめる話は少しもめただけで結局義父には了承してもらった。




もちろん今も行き来はしているよ。




さて、店を退くにあたって、次の職を探した。




そしてひと月考えて就いた職は、リフォーム会社の営業だった。




「えーっ!なんでリフォーム?」って思うよね(笑)。




またもや畑違いの業界に入ったわけだ。




それまで13年間、外に飛び回ることのできない仕事だったので、その反動からか
また営業職を選んでいた。




もっとも営業経験はあったのだから、やれる自信はあった。




40才は過ぎていた。40の手習いというわけだ。




リフォーム建築のことはまったくわからないので、2.3冊本を買ってきて読んだ。




まるで昨日のことのようである。




入った会社は関東に本社があり全国展開をしていた。




僕の住んでいる市にもその支店があって、そこに通うようになる。




この会社の特徴は、営業職は基本的に飛び込み営業をする。




そこからリフォームの仕事を取ってくるのが主な業務。




そして取ってきた仕事はベテランの社員が同行して契約という流れだ。




元来、人と接するのが得意なので車の営業同様、コンスタントに仕事が取れた。




しばらくは平社員だったが、1年半ほどしてそこの支店長に任命される。




まだぜんぜんベテランの域に達していないのに、勢いだけで任命する会社だ。




訳がわからないままとりあえずその職を受け数年その職を全うするが、
結局、入社してから6年目で退職。




退職理由だが、表向きは他県への転勤を拒否したからということにしている。




本当の理由は、会社についていけなくなったということ。




支店長ともなれば、毎日エリアマネージャーや本社幹部から売上のノルマを
ギシギシ詰められる。




それは激しいってもんじゃない。




その日、売上がなければ犯罪者呼ばわりされる。




でも生活のことを考えると、おいそれとは辞めれない。




この会社のよいところは歩合が高いこと。基本給は低いけどね。




仕事さえもぎ取ってくるヤツが儲かる仕組み。




ここは頑張りどころと思っていたが、何かがおかしい、こんな人生を歩むのは
僕の人生じゃないと強烈に感じ、思い切って辞職した。




さすがにこの僕でもこのままいれば多分精神に異常をきたしていただろう。




ギリギリの選択だった。




さて、次の仕事を探さなければ・・・




自分は営業はできる。飲食業の経験もあるが、客単価が低いので一気には儲からない。




かと言って、今さら車を売る気にもなれない。




じゃあ、やっぱり営業の幅の広い「建築、リフォーム」か・・・




実際、建築やリフォームの仕事は守備範囲が広い。住宅のことならなんでもやる。




仕事が取れやすいのと、将来的にも伸びしろのある業界ということも考え
引き続き建築、リフォームの会社の求人を探すことに。




するとタイミングよく自宅近くのリフォーム会社に求人が出ていて入ることができた。




この会社は非常にアットホームなところで、前職とは180度社風が異なる。




社長の人柄が社風に反映されているのがよくわかる。




ただ、この会社は営業職であっても歩合が付かない。




つまり、どれだけ売上に貢献したところで、固定給のままなのだ。




娘はまだ学校に通っているころで、一円でも収入がほしいところだった。




ただただそこがネックになっていたのだ。




そんな中、そのネックを決定づける出来事があった。




たまたまその月は順調に売上もいき、結果、800万円以上の数字で終わった。




にもかかわらず、給料は固定給のまま・・・




要するに、働きやすいが薄給な会社ってこと。




「これ、もし自分ひとりでやってたらスゴイ儲かるな・・・」




誰しもそう考えると思う。




もちろん、良い時だけを見て思うもので、悪い時はそんなこと考えない。




でも、社畜でいても、個人事業でやっても、やる実務は変わらない。




お客さんと家の話しをして、なおかつ仕事をもらう。




そして職人さんを段取りして工事をし、工事代を改修する。




組織に属するか一人で動くかの違い。




知識と経験はある!なんとかなる!




だが、見込み客はどうする??? 自問自答する。




大丈夫!そのためにマーケティングをこつこつ勉強してきたじゃん。




僕を信頼している人も結構いるしね!




「よしっ!じゃあ、いっちょうやったるかっ!」







こんな感じで一人で旗揚げしてかれこれ足掛け4年目である。




もちろんここに書かれていない数多くの失敗、成功、クレーム、葛藤は
ありすぎる。




かいつまんで書いたがプロフィールにしては長い文になった。




自分で言うのもなんだが、けっこうな経験をしてきているので、人の気持ちや
傷みはわかるつもりである。




このブログを立ち上げたのも、そんな経験から幾多の人に役立つ情報が
発信できればと思ったから。




今後も、目からうろこの話を書いてみたい。




ビジネスは一筋縄ではなかなかいかないが、このブログ中で参考になる話があったら
ぜひ、あなたの引き出しの一つに加えてもらえたら幸いである。




いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

当ブログ発展のために応援クリックを頂きますと大変うれしいです。

よろしくお願いします。
                  
 ↓  ↓  ↓  ↓ 

感謝です
にほんブログ村







PR